吹き飛ばされませんでしたか?うちの屋根が
めくれ上がるかと思いましたよ。
きょう一周忌の法事をなさったUさんは、
一人娘さんを病気のため40代の若さで失いました。
Uさんは、なんでお寺に来てお経をあげているのか
いまだにピンとこないとおっしゃいます。
女手ひとつで育てた娘さんを失った悲しみが
一年経っても癒されないのです。
苦しいこと辛いことがあっても、
この娘がいたから、乗り越えることができた。
自分の人生そのものだった娘を失って
何を支えにしていいのか分からない。
完全にご自分のバランスが崩れてしまったわけです。
法事を勤めるのは、私は今まで亡くなったことが
当然の事実・前提であると思っていたのですが、
Uさんにしてみれば、亡くなった事実され自体を
認めるわけにいかないのですから、法事が成り立たないわけです。
というより、今までの私のご法事の概念が覆されました。
では一体何が人間を支えるのでしょうか?
そんな問いかけを頂きました。
もしかしたら、本当に人間を支えるものが
見えてくることが、単なる儀式ではない「ご法事」なのかもしれませんね。