を仏教では、正見といいます
自分の物の見方・考え方に、偏りがあるとは
誰もゆめゆめ思いません
人生が順風満帆うまくいっている時は
だれも自分の考え方を疑いません
一たび、うまくいかなくなった時に
あれがよくなかったのか?
これがよくなかったのか?
原因(犯人)探しをして落ち着きを
取り戻そうとします
この時、全く無関係な事どうしを結び付けて
考えようとします。これが偏りです
起きた事を事実として受けとめられない
人間の弱さでしょう
弱い私たちに、正見を回復するのが
仏事の持つ大事な意味だと思います