法事 キツネとぶどう

有名なイソップ童話

キツネが
たわわに実ったぶどうを
欲しくて欲しくて仕方ないのに
飛び跳ねようが何しようが
手に入らない

そこで悔しまぎれに
あのぶどうは、まだおいしくないんだ
と捨て台詞を吐いてキツネが去って行く
それだけの童話である

ただの詰まらない童話にも思えるが
お父さんが一生懸命に頑張っても
お母さんには叶わないという昨日の話にも相通ずるのでは
と思ったりする

この苦し紛れに何を思うかで
案外人の真価が問われているのかもしれない

その前の日の、手に入らなくても
「自分に負けない」ことに価値を見出そうとするのか
それとも「自分」や「勝ち負け」そのものを超えていくのか
つまり自分にこだわることや、勝ち負けにこだわることを放棄する
そういう道だってある

何が勝ちで何が負けなのか
そんなことは一切分からない

つまり
ぶどうが手に入らないことが負けなのか
ぶどうが手に入ることが勝ちなのか
そんなことは決めようがないことだ

と言いきるには
欲望に惑わされない確かなものが
しっかり見いだされていないと、そうは言えない。

もしかしたら
この童話は、欲望に惑わされない
確かなものへと導く扉なのかもしれない