家族 霧の思い出

今日の高松は一日霧に包まれました
霧は珍しい気がします

それで思い出したのは
30数年前の思い出です

当時霧が出ると
連絡船や宇高フェリーは
停戦勧告といってサイレンが鳴らされ霧が晴れるまで
船がその場でストップさせられていたのです

そうすると
当時の全国紙は今と違って四国内で印刷されるのでなく
大阪などで印刷された新聞が船で運ばれていたので、
四国にまで届きませんでした

そんな時代があったのです

お小遣い稼ぎに
新聞配達のバイトをしていたので
そういうことをよく覚えています

新聞が届かない時、新聞配達員は何をしていたかというと
新聞屋のおやじさんが高松駅前のうどん屋に連れてってくれて
うどんとおむすびをご馳走してくれるのでした
やたらとおいしかった記憶があります
なので霧が出ると、思わずガッツポーズをしていたものです
とはいえ滅多にあることじゃないんだけど、滅多にないからこそ嬉しかったのです
そういう思い出にひたった一日でした